インタビュー
以下はG-Modern第15号に掲載された「イースト・バイオニック・シンフォニアから20年:1997年10月18日(土)、再び私達は演奏する。」のほぼ全文です。
Y やあ、久しぶりですね。あれから、何年になりますかね。
今井 あれからってイースト・バイオニック・シンフォニアのこと。まあ、20年いや21年かな。
Y そうですか、そろそろ四半世紀ですね。
今井 そうだね。驚いちゃうよ。アッという間だね。
Y その間皆さんと連絡はしていたんですか。
今井 いいや、していなかった。ただ、数年前から彼らの名前をちらしで見かけたりしていたんだ。
Y それでまたイースト・バイオニック・シンフォニアをやろうと。
今井 いや、イースト・バイオニック・シンフォニアをするのなら全員集めないと意味がない。これは、シンフォニアとは違うグループと考えてもらいたい。ただ、あの頃の問題は継続しているけどね。
Y 知らない人もいるかもしれないので、まずイースト・バイオニック・シンフォニアについて話してもらえませんか。
今井 1975年に作曲家の小杉武久が美学校で音楽教場を開いた。ワークショップだね。そして、シンフォニアは、音楽教場の卒業制作の様なものなんだ。
Y それは、どういうことなんですか。
今井 小杉さんは、初めから1年間の教場が終わったらレコードを出すという計画だったんだ。そして、教場ごと即興グループにしたかったんだよ。あと月謝が結構したんだ。小杉さんいい人だからさ、卒業するときレコードを作って月謝分を少しでも回収しなさいと言っていたんだよ。実際はレコードの制作費の一部をみんなで負担した。そして、現物を何枚かもらってね。そのレコードをみんな売っていれば制作費の負担分よりも多くなっただろうね。しかし、当時は誰も買わなかった。今、相当するんだろ、持っていれば儲かったかもしれないね。
Y 結構高いですよね。ということは、レコードの為のグループだったんですか。
今井 いや、小杉さんはグループとして立ち上げて活動をするようにと考えていたんだ。当時、僕はタージマハル旅行団の演奏に参加されてもらっていたから小杉さんと二人で話すことも多かった。それでよく言われたよ、グループを作れってね。でも、僕としては今一つ乗らなくてね。それぞれキャラクターが結構違ったからね。
Y それでもグループを作ってレコードを出したんですよね。
今井 土壇場で小杉さんがレコードの企画を本当に作ってくれてね。それに乗せてもらったということかな。内容的には今一つで気に入らなかったんだけどね。あのレコーディングの前に、何度かキッドアイラックで演奏したんだけど、そっちの方が良かったんじゃないかな。でも出しておいて良かったと思うよ、当時の記録としてすごく重要だ。タージマハル以外でああいうスタイルの集団即興は無かったからね。
Y なんで、グループとして継続しなかったんですか。
今井 中には続けたいと思っていた人もいたんじゃないかな。でも、ミーティングがあまりないし、有ったって10人もいると上手くまとまらない。誰かが引っ張らないと難しいよ。僕自身はフリージャズ系の生意気なやつだったから、全員が演奏に積極的かどうか分からなかった。だから、グループを続けるのは難しいと感じたね。その後何度か演奏したようだけど結局、明確に活動しないまま止まってしまった。
Y そうだったんですか。というところで前置きが長くなったんですが、何で今、昔のメンバーと新しいグループを作るんですか。
今井 個人的にはあれからいろいろあったけれど、集団即興に対する興味はずっとあったんだよ。まず、こういうスタイルの即興が好きだということだろうね。どういう即興かというと、各個人が自立して音楽を作り、その音楽をグループの中に持ち込んで全体を形作るというスタイル。だから個人の音楽が重要なんだ。次に、ある程度の人数が必要だ。集団が大きくなれば、それだけ個人が集団の中に隠れてしまう。そして、個人が影響を与える事はあるかもしれないが、全体を決定することが出来ない。このスタイルは、もちろんお互い聞き合わなければダメだけれど、誰かに合わせて音を作るということではない。それぞれが独自に音を出していって多層的に音楽が作られていく。ちょっと理想的だけどね。
Y それでは、なんで今なのか分からないですよ。
今井 そうだね。20年経ってみて周りを見たら、昔の仲間がそれぞれのフィールドでまだ頑張っていた。僕の経験で言うとね。20年やっていると多少自分の音楽が分かって来るんだよ、変わりようが無くなるからね。足を洗えなくなったと言った方が正しいかな。シンフォニアの頃はみんな自分の音に自信がなかったんだと思う。それが20年経って音楽に自信がついて来たように感じた、生意気になったってことかな。だから、ここに来てやっとそれぞれの音楽をグループに持ち込むとかが出来るんじゃないかと思ったんだ。つまり、最初のコンセプトを実現するために20年かかったということかな。
Y 20年ですか、気の長い話ですね。
今井 別にそれを射程に入れて考えていたわけじゃないからね。ただ、イースト・バイオニック・シンフォニアが分からないまま活動を中止したことに対して何か明確にしなくては次に進めないという思いもあった。他のみんなもそうじゃないかな。
Y それはどういうことですか。
今井 あの時やっていた集団即興がどういう意味を持つのか、現時点ではどうなのか。まあ、硬い話になるから止めておこう。あと、こういうスタイルの集団即興が今も無いと、知らないだけで実はすごいグループがあるのかもしれないが、僕らとは違うと思う。プログレッシブロックやフリージャズのセッションとはちょっと違うからね。古いのかもしれないが、今も続きなんだよ。60年代に現代音楽系の集団即興が行われてAMMやMEVその他が起こり、日本ではタージマハル旅行団が出来た。そういう流れの中で考えることはあると思う。たとえば、無名性について当時よく話していた。集団を形成することでその中に個人を埋没させる、さっき言ったようなことだね。だけど、無名性はなかなか上手く行かない。今は、個人を明確にすることによって全体を多層的にする、無名性ではなく、多様性かな。そういう時代を反映するんだと思うよ。だから、本当はこの集団を固定化したグループとは考えたくないんだ。実際まだ名前が無くてね、公募でもしようかなんて話もあるくらいだけど。まあ、そういう集団に対する考え方がそのまま音楽について考える事と同じ意味も持ってくるという事かな。グループ・ダイナミックス。以前は、グループに幻想的コミューンを見いだそうとしていたかもしれないが、今は擬似的コミュニティーの様だとかね。アパートみたいなもんだよ。
Y アパートですか、良く分からないですが。
今井 まあ、隣の人と話をしないけど、年1回集会があるとき顔を合わせる。そして、それぞれが暮らしやすくするための話し合いをする。そんな話し合いは無いと思うけど、グループ内の関係はそれに近い。たぶんコンサートも年1回の集会ペースになると思うし。ああ、隣にどんな人が住んでいるか分かっているよ、不失者には興味ないけど、隣にいるのはそのメンバーだとかね。
Y なるほど。メンバーの話が出たところで、紹介してもらえませんか。
今井 そうだね。今話した不失者のベーシスト小沢靖。彼はライターでもあるしサウンドエンジニアもやっているしその先生もしている。次はご存じ、むかいちえのページで怒っているシェシズの向井千恵。最近は電気も使っているようだけれど自然の素材を使ったサウンドパフォーマンスをやっている多田正美。独自のエレクトロニクス・システムを使ってサウンドインスタレーションを行っているが、その他にいろいろなパフォーマーの為に装置を作っていて日本のパフォーマンス界では貴重な存在だと思われる椎啓、最後にメンバーの中で一番自然に音を出しているのかもしれないアマチュアジャズオーケストラでピアノを弾いている越川知尚、という顔ぶれ。
Y そして、ソロワークスをしつこく続けている今井さんということですか。
今井 本当はあと2人誘ったんだけど、いろいろあってね。集団を形成するために最低必要な6人はいるからまあ良いかなと思って取りあえずスタートする事にした。こんなとこかね。そういえば、僕のコンサートにメンバーをゲストに迎えて音を出したんだよ。
Y へー、どうでしたか。
今井 みんなどうなっているかちょっと心配だったんでね。驚いちゃったよ。昔と同じなんで思わず笑っちゃった。偉そうな事言っていても実際は変わらないのかな。でも本番はもっと広い空間だからそれぞれの音が出るんじゃないかと思うよ。自分のセットもちゃんと持ってくるだろうしね。あとはそれぞれの音をどれだけクリアーに出せるサウンドシステムを考えるかだ。
Y なるほど、当日はどんな進行なんですか。
今井 もちろん時間だけ決めてあとは自由な即興です。長い時間出来そうなので、多少セッティングについて考えるかもしれませんが、基本的に音は全て即興。
Y 久しぶりに楽しみですね。期待していますよ。今日は長い時間ありがとうございました。