Improvised Music from Japan / Information in Japanese

ベース・デュオ、旅の終わりに

北里義之

(CD Joelle et Tetsu「ジョエル・レアンドル & 斎藤徹:ライヴ・アット横濱ジャズ・プロムナード」のライナーノーツ)

新旧両大陸を股にかけた最近のジョエル・レアンドルの活躍には、目覚ましいものがある。アルバムのリリースだけを見ても、カナダのレッド・トゥカンからはソロ演奏集『ノー・コメント』を、スイスのハット・ハットからはウルス・ライムグルーヴァー(ss,ts)やフリッツ・ハウザー(ds)とのセッションを収めた『ノー・トライ・ノー・フェイル』を、またアメリカ西海岸にあるミュージック・アンド・アーツからはカルロス・ジンガロ(vln)やリュディガー・カール(cl,acc)と結成しているカンヴァス・トリオの新作『モーメンツ』を、そしてフランスの新進レーベル、ポトラッチからは御大デレク・ベイリー(g)とのデュオ『ノー・ウェイティング』をと、実ににぎやかだ。さらに各地で即興ワークショップを主催するほか、長いこと「同志」ともいうべき関係にあるイレーネ・シュヴァイツァー(p)やマギー・ニコルス(vo)とはインターナショナル・トリオ、レ・ディアボリークを組んで活動、また1990年までウィーン・アート・オーケストラの紅一点メンバーとして活躍したローレン・ニュートン(vo)と新たにデュオを組むなど、即興する女たちのパワーを追い風に、レアンドルはいま演奏家としての充実期を迎えている。ここに斎藤徹とのデュオが加わることは、彼女の世界をさらにアジアへと広げてゆく大きな端緒となるに違いない。

1996年10月13日、神奈川県立県民ホールの小ホールで、ジョエル・レアンドルと斎藤徹は、この年第4回目を迎えた横濱ジャズ・プロムナードの最終組に選ばれてトリを務めた。横浜市の助成を受けて1993年にスタートしたこの音楽祭は、多くの日本人ミュージシャンや、彼らとつながりの深い海外の演奏家をフィーチャーしながら、横浜の各所に点在するホールやライヴハウスをネットワークして横浜の町を音楽のプロムナードにしてしまおうという、地域振興を片目にしたジャズ・フェスティヴァルである。ここ数年連続して出演している斎藤徹とは関係が深い。

デュオのステージには、縦横10メートルにも及ぶ巨大な絵が飾られていた。強風にあおられる波涛の激しさで、画布の奥から吹きだした何枚ものブルーの花びらが、カンヴァスの全面をおおっている。花弁は狂おしくはためき、熱を帯びて身悶えしながら、観客を画布の奥へと手招きしていた。この蠱惑的な絵の作者である小山利枝子は、斎藤徹が彼女の個展に赴いて演奏したり、作品をCDジャケットに提供してもらったりして、数々の共同作業を重ねてきた仲間である。実を言えば、こうした(特に女性の)表現者とレアンドルが出会う脱ジャンル的な場を作り、そこで草の根的な交流を図りたいというのが、斎藤徹も含めたジョエル・レアンドル招聘委員会の大きな夢だった。横濱ジャズ・プロムナードでの公演は、9月の下旬から開始され、ほぼ20日間にわたって行なわれた日本ツアーの最終ステージにあたっており、かなりの強行スケジュールと、物心両面にわたる様々な苦労からようやく解放されるというベーシストの心の状態が、そのまま喜びにふるえる鈴のようにリンリンと鳴り響いている。アルバムは、この横浜での最終公演を、曲順もそのままに収録したものだ。自宅に置いてきた愛犬を思い出したのか、レアンドルがコントラバスを犬に見立ててステージの裾まで引いてゆく最後のセットだけが割愛されている。

そもそもジョエル・レアンドルを日本に呼ぶきっかけとなったのは、1994年に2度にわたるヨーロッパ・ツアーを敢行した斎藤徹が、アビニオンの国際コントラバス祭で彼女と出会ったことによる。バール・フィリップスがフェスティヴァルの音楽監督としてがんばる姿を見て、斎藤徹は自分もコントラバスのために何かをしたいと思ったという。レアンドルが彼に「日本に行きたい、日本に行きたい、日本に行きたーい」と三連呼して、話は決まった。コントラバス奏者であることの他に、女性であることが人選に影響しなかったとは言えないだう。音楽的なテーマをさしおいて女性的なるものに生命力の回復を頼るというのは、私たち男性のふやけた幻想に他ならないが、即興演奏が本来的に持っている他者性を回復させるものとして、あるいはそこにたてまえだけでない異文化交流を実現し得るキーワードとして、招聘委員会が女性的なるものに希望を託していたことは、よくも悪くも否定できないと思う。斎藤徹が口火を切る格好でチームを組んだのは、福島恵一、北里義之という2人の音楽評論家だった。招聘業務に関してズブの素人である3人は、1年という準備期間を設定し、会合を重ね、無駄話に明け暮れ、スケジュールを調節し、人脈を開発し、金策に走り、喧嘩をし、雑誌の記事を書き、座談会を催し、ラジオに出演し、ポーターを引き受け、とまあ彼らに考えられる限りのありとあらゆる務めを果たして、レアンドルにとって初めての日本ツアーを成功に導いたのだった。

このツアーが終わった後、レアンドルからブラザーと呼ばれることとなった斎藤徹は、日本を代表するインプロヴァイザーのひとりだが、その音楽的関心は、即興演奏を越えて幅広い。日本の伝統音楽や現代音楽への関心は勿論のこと、ピアソラやプグリエーセを通して知ったアルゼンチン・タンゴの世界や、金石出に代表される韓国のシャーマン音楽など、最高の音が鳴っている場所へ脇目もふらずにたどり着く直観力・行動力は、誰にも真似できない。このアルバムでも斎藤徹の音楽の多面性は遺憾なく発揮されている。音楽に対して多様な欲望を持つことは、ポストモダンの時代を経た今日、すでになにがしかの市民権を獲得しており、さして珍しいことではないかも知れない。しかし彼が演奏家としてすぐれているのは、音楽を情報としてだけ受け止めるのではなく、そこで生きている人間との出会いを通じてもすべてを感じ、すべてを理解しようとすることだう。次の瞬間どこにいるか分からない多面的な斎藤徹の音楽は、「ルールはいっしょに演奏すること」をモットーにした数々の出会いによって縫い合わされ、アイデンティティーを保たれている。その輝かしい共演歴は、彼の音楽家としてのステータスを確保するためのものではなく、彼がこれまでに経てきた決定的な音楽的事件の数々を示している。最近の斎藤徹は、アジア音楽を専門にする評論家、森田純一との出会いを育て、彼が主催するジャバラ・レーベルで、バンドネオンの小松亮太をゲストに迎えたピアソラ・アルバムや、琉球弧で生きられている島唄の伝統のまわりを遊泳するようなアルバムをリリースしている。  固有の道を歩き続けるふたりのコントラバス奏者の出会いから生まれたこのアルバムは、即興演奏がいまなお出来事である瞬間をとらえようとしている。「インプロヴァイザーとは最後のロマンチストのことだ」というレアンドルの言葉どおり、私たちは、演奏者も聴衆も、音楽が産声をあげる最初の瞬間に立ち合うことを、永遠に夢見つづけるだろう。