文:福地大輔(北海道立釧路芸術館学芸員)
――宝示戸亮二はピアノ全体を使った音楽表現を繰り広げ、楽器としてのピアノの表現領域を拡大する活動を続けている音楽家である。彼の演奏スタイルは、見かけ上は非常にエキセントリックなものである。彼は独得な響きを求め、その効果を計算した上で多種多様なものをピアノの中に持ちこむ。木片、発泡スチロール、ボウルに入れたコーヒー豆、電動歯ブラシ……。ピアノの弦やフレームと一体化した物質から響く不思議な共鳴は、斬新で忘れがたい倍音となって聴く者の耳に届いてくる。――
ピアノという楽器は普通「弾く」ものであり、音楽表現のために人が普段触れる部分は鍵盤、ペダルなど楽器の大きな器全体からみれば限られた部分である。しかし実際に音響が発生する弦やハンマーといった部分に手を加えて楽器自体の表現力を拡大しようとする発想が起こっても何ら不思議なことではない。鏡の様に照り返す漆黒の外板に囲まれた金色のフレームの中を、禁断のお仏壇の世界と思わなければの話だが。
事実、仏壇なぞ見たことも聞いたこともない人々の住む国では、ピアノの機構を操作するということ自体は決して目新しいことではなかった。ジョン・ケージはすでに60年前にはプリペア―ド・ピアノの作品を作曲している。更にケージの師ヘンリー・カウエルがピアノの弦を素手で弾く、たたくといった内部奏法を始めたのは1920年代のことであった。 プリペア―ド・ピアノ作品の誕生は、彼が関わっていたパフォーミング・アート上演用の伴奏音楽作曲に際して、打楽器の代わりにピアノを用いざるを得なかった事情にも由来している。すなわちケージはプリペアード・ピアノのつむぎ出す多様な響きを打楽器の音色の代替物としてまず認識し、その音色がより豊かに響くリズムを創造しようとしたのであった。
ケージは音楽に不確定性の要素を持ち込んだ。明確な理論あっての表現ならば音楽の世界は何でもあり、やった者勝ちという一見乱暴に見えるやり方で新たな境地を切り開いたことで、楽典でガンジガラメにされた世界から音楽を解放したその功績は非常に大きい。しかし、世界のアカデミックな現代音楽の流れは、皮肉にも獲得した自由から人間の感性の地平を広げる新たな世界を作り上げる結果にはならなかった。むしろ、音楽そのものの成立する制度的環境の検証に重点が置かれ、分析的な表現に走ることになり、音楽の作曲演奏される過程から作曲者や演奏者の意識や主観の排除という方向に向かうことになる。そしてプリペア―ド・ピアノも20世紀の実験音楽の大多数と共に埋没してしまい、音楽表現としての生命力を失ってもはや音楽史上の用語の一つとして思い出されるだけの、実体のない存在になり果てようとしている。
こうした状況の現代に、全く別の環境からピアノ全体を用いた表現による音楽活動を始めたのが宝示戸亮二である。宝示戸の奏でる旋律や音色は一般的な調性やリズムを取り払おうとする傾向がある点と同時に、非常に叙情的な側面を持っている。というのも彼の演奏が、演奏技術や音色上の純粋な実験といった方法論が先行した結果として誕生したものではなく、まず心の底から表現したい情念、展開したいモチーフというものが先に存在し、その結果たどり着いたものだからであろう。
例えば鍵盤のみの演奏ではじまるモチーフは、「やさしさ」や「なつかしさ」ともいうべき情感を伝えるものとなっている。特に曲2目『My Treasure』最初のモチーフに見られるペンタトニックな進行などは、現代の日本人にとっては非常に自然な表現であろう。こうした表現は、個人の具体的な記憶や日常の感情に基づいた秩序だったものではなく、人類が心の中に本能的に備え持つものとしての根源的な混沌(カオス)から来たものである。宝示戸の即興表現の本質は、個人ひいては人類が持つ普遍的な意識の底にある深層的なイメージの輪郭を演奏者が無意識に汲み取り、感性のフィルターにかけて再創造した音楽という点にこそ存在する。
また、5曲目で宝示戸が太く響かせる音色(サックスのマウスピースをつけた筒状の楽器? を用いている。)は、ザトウクジラの唄に触発されたものであり、低く沈鬱に広がるフレーズは、生息する環境を追われた鯨に限らず生きとし生けるものの心の底にある悲しみを表わすものに昇華されている。こうした表現は小手先の浅知恵で作り出せぬものであり、また全く考え無しのいきあたりばったりの発想からも決して生まれ得ないものである。 宝示戸亮二の演奏に接する時、演奏スタイルの奇抜さやパフォーマンス性の強さではなく、このような奏法でしか表現出来ない事柄や、この奏法によって生み出される情感とは何か?という点について注目するならば、奔放と感じられる演奏の中に宝石のようにきらめく繊細な一瞬をいくつも感じ取ることが出来るであろう。そしてそれらのきらめきの一つ一つとでもいうべきモチーフが豊かに大きく展開していく過程を必ずや発見することが出来るに違いない。
この演奏は1998年10月フィンランド、「タンペレ・ジャズ・ハプニング '98」での演奏を録音したものであり、宝示戸の出演はプログラムの最終日であった。聴衆の好評を博したことはもとより、彼のアグレッシヴなパフォーマンスと深い音楽性は音楽祭のスタッフや参加した音楽家に多大な衝撃を与えるものであった。また、フィンランド国内で翌日の新聞に大きく紹介されるなど宝示戸の音楽は大きな波紋を呼び、後日ヘルシンキのフィンランド国立現代美術館KIASMA(キアズマ)で開催されたコンサートでは、タンペレでの演奏に魅せられた人々も急遽方々から駆けつけたという。
シベリウスやパルムグレンの作品に代表される、澄み切った音色の広がりある表現を大切にしてきたフィンランドの人々のことである。彼らにとって宝示戸のピアノがそこにあった時間は、日本人とはまた違った感覚で心の琴線に触れるものであったことであろう。
2000年2月25日