Improvised Music from Japan / Shoji Hano / Information in Japanese

宝示戸亮二「A Man from the Earth」(Darko) ライナーノーツ

文:大友良英

宝示戸亮二は札幌在住の音楽家だ。これは実は大変なことなのだ。なにしろ日本では、東京に住んでいないというだけで音楽家は大変なハンディキャップを負うことになる。

札幌と言えば人口200万の大都市だ。ところが、ここには彼が関われるような音楽シーンはほとんどないに等しい。やる場はない、ジャーナリズムもない、彼の音をCDにするようなインディペンデントなレーベルもないと、ここまで書くと、要するにコマーシャルな音楽シーンしかないんだなと思う人もいるだろうけど、それも実はちがう。コマーシャルなシーンだって状況は似たりよったり、どこのも存在しないに等しい。

日本に住んでいない人にはわかりにくいかもしれないが、この国では、ほとんど全てが東京に集中する仕組みになっている。音楽家の多くは、東京に居なくてはステイタスを得られないということになっている。例外は、東京よりもっと上だと日本の皆が漠然と考えているニューヨークやパリで活動しているというキャッチフレーズが付く場合のみだ。書いていて情けないけど、これが今のこの国の現実だから仕方ない。音楽の内容とは関係なく、東京やそれ以上の所でステイタスを得ることでしか一流と見られない。要するに今の日本では彼の位置付けは"二流"ということになる。こんな位置付けが、まったく意味がないどころかおろかなことはこのCDを聴けばわかることなんだけどね。

では、何もかもが集中する東京の音楽シーンは素晴らしいところかってえと、とんでもない、とんでもない。大金かかえたバブル野郎のうごめく世界と、立派な芸術大学を出て海外(主に欧州のこと)に留学したえらい先生達のつくる世界の二つの他は、貧乏なロック野郎やスノッブなジャズオタクがツバをはいているだけの所だ。その大部分は、皆が漠然と"上"だと思っている"本場"の音楽のコピーで成り立っている訳で…、ジャズをやるならニューヨークに行かなきゃ…って具合にね。だからこそ、彼らは、東京より漠然と"下"だと思っているローカルな所には目が行かない。日本の音楽シ ーンの大部分は、こんな程度の貧しい知性で出来上がっているのだ。

宝示戸亮二が札幌に住むというのは、これだけの文化的な背景をかかえての活動ということになる。札幌は東京が押し付けてきた状況をそのままかかえ込まされた貧しいリトル東京なのだ。

彼はそんな中でツバをはくのではなく、身近な人々との豊かな関係性の中から一つ一つ音楽を創って行く道を選んだ。スペシャルサンクスの中には、そんな人々の名前が刻まれていることを私は少しだけ知っている。ここでの彼の演奏はソロだけれど、そういった人々との静かで豊かな関係の中から生まれたアンサンブルだと私は思っている。

このアルバムは、やる場のまったくなかった彼に場を創り続けてきた沼山良明、金沢史郎といった人々とのインディペンデントなネットワークをぬきには考えられない。日本の多くのローカル都市の音楽シーンは、確かに貧しいけれど、閉じた地域性とは別のところから豊かなつながりをつくる動きが出て来ているのも確かなことだ。交通、通信手段が安くなったおかげで、これらのローカルな動きどうしが、別の場所のローカルな動きと結び付き出してもいる。貧しいという点では、札幌と変わらぬ東京でも、これまでのシーンの流れとは別のインディペンデントな動きが出て来ている。札幌の宝示戸亮二がロシアでコンサートをやり、東京のレーベルから世界各地に発信されるというのは、そういう事なのだ。

インディペンデントな動きに、お国自慢や民族主義など必要ない。過去が押し付けて来て、今や貧しさしか生まなくなった枠組みを無効にするのは、彼らの、私たちのこうした動きにかかっている。枠組みを創るのは私たち自身なのだ。このアルバムの背景には、こんな意味があると私は思っている。

1994年3月16日

追記:
この6年間は、私にとってこれまでのどの時期よりも激しい変化の時期で、それは多分、単に私の個人史の話ではなく、社会構造も含めた音楽のあり方が変化してきていることに無関係ではないと思う。ここに書いたような、私がいらだちを感じていた状況は、今も変わらずあるが、その事に対する私の態度は、 確実に変わってしまった。今ならこういう書き方はしない。正確には、その音楽が置かれている社会状況を中心にすえ、音楽を評価するロマンチックな方法を選択しない。やや自閉的に見えるかもしれないが、私の興味は音響の生成そのものに向かっている。その細部の中に見いだせる構造や、組織論の中にこそ、なにかがあるように思えるのだ。そうした視点で改めて聴いてみても、宝示戸の音楽はいい。特に彼の内部奏法は好きだ。ただの物質でしかないピアノという機械があらわになる感じがいい。この部分に焦点を当てた作品を現時点で彼が演奏したらどうなるか、ぜひ聴いてみたい。

2000年2月1日


Last updated: July 8, 2000