10月18日
ホテル部屋の電話が鳴る。「ハコちゃん、おはよう」と八木さんの声。かろうじて目をあけて時計を見たら、まだ朝の8時半だ。私は早起きの同僚に心の中でため息をつきながら、もう寝るのを諦めて「9時にブレックファーストいくね」と伝える。まぁ、夕べはNantes の空港から市内のホテルに車で直行、昼からのリハーサル前に、ちょっとあたりを散歩してもいいところだろう。ここNantes はパリからTGVで約2時間ほどで、海に近いというロケーションもあり、フランス西部の住み良い都市として知られているらしい。ホテルから歩いてすぐに、会場のLe Lieu Uniqueを見つける。どこかインド風な見てくれの不思議な塔の付いた、大きな古レンガ造りの建物。ここはビスケットの老舗メーカー、"Lu" の製菓工場だった。1800年代に建てられたこの由緒ある建物を、Nantes市が買い取り、現代アート・センターとして再利用に乗りだしたのはつい数年前のことだそうだ。もちろん改造が加えられ、現在では立派な客席のついたコンサート・ホールやギャラリー、イヴェント関連の本屋、レコード・ショップ、バーにレストランが合体した多目的空間になっている。天井が高く、とても居心地の良い場所だ。
私たちHoahioのリハーサルに用意されたのは二階の会議室。八木さんと私は一日中、貸し切りでこの部屋と機材を利用して良い、という恵まれた状態。セッティングをすませた後、ひとまず一階のレストランで昼ご飯をとることにした。今日のメニューは、魚のグリルと豆野菜にクリームソース、そして白ワインはサービス。「うーん美味すぎ!」を二人で連発する。「こんなに美味しいもの食べたら、もう眠くなっちゃう」
10月19日
一階ホールの入口にあたる広いスペースと二階の一室で、韓国の現代アーティスト達のインスタレーションを開催中。Orient Extreme(極東造形音楽舞踊)というイヴェントの一環として、Hoahioも呼ばれたのだった。10月には韓国のサムルノリやパンソリ、ベトナムのデザイナーによるファッション・ショー、パリ在住のMami Chan BandとJucy Panic、Dragibus、11月には日本からYuko Nexus6、ヲノ・サトル、カール・ストーンのトリオ、糸電話によるパフォーマンスStringraphy(水嶋一江)、12月には中村としまるの公演も入っている。
出演前に、韓国の若手グループ、Byulの演奏を舞台裏で聴く。アンビエント系でなごんだポップ、サイケなエコーの優しい歌。英語が上手い人達だ。さてさて、私たちHoahioの演奏開始。ほぼ満席の会場の響きは、サウンド・チェックのバランスと大違い。モニターの返しを調整してもらいながら曲を進める。今回、八木さんは箏(20弦)のために開発したピックアップ装置を持参した。それで、ずいぶん音質、効率とも良くなったと思う。デュオ演奏は各自の持ち分が多い。曲間の箏のチューニングや私のエレクトロニクスやマンドリンの持ちかえなど、あたふた感が漂うこともあるのだが、演奏上は問題ない。ここの聴衆は、きまじめに見守ってくれて友好的な感じがする。アンコールの拍手はわっと盛り上がって、舞台裏にやってきた主催者のKittyさんは上機嫌だ。
ホールを出たところ、バーではDJが始まり土曜の夜を愉しむ若者達でにぎわっている。Lieu Uniqueは確かに活気がある。実験的な催しも多いのだが、堅苦しさはなくポップなポスターやカタログでも人をひきよせる。そして、なにげに美味しいレストランとオープン・スペースのバーがある。
打ち上げをそのレストランでやるという。今夜は、鴨のグリル・スライスとマスカット添えにイチジクのソースで決まり。あっと、舌の悦楽はこのへんでよしとして、打ち上げの席で私を取り囲んでくれているのは、ちょうど一週間前にこの会場で出演したMamiちゃんとその仲間達なのだ。彼らはHoahioのコンサートを観るために、わざわざパリから駆けつけてくれていた。もちろん、日本から前もって連絡しておいたのだけれど、実際に会えて目の前がぱっと明るくなった気がする。「コンサートのあとで、ハコちゃんをそのままパリまで車で連れて帰っちゃおうと思ってね」。そう国際電話で言っていたとおり。つまり、私はパリのMamiちゃん宅にこれから一週間ほど滞在することになっているのだ。
10月20日
「着いたよ。」とまみ (Mami) ちゃんの声がする。車でうとうとしていて、急に目が覚めたら、目の前の景色がすっかりと「パリだ」。ナントを出たのは夜中をすっかり超えていたから、4〜5時間走って、もうあたりはうす明るくなり始めている。「ここ古いアパートだけど、広くて天井も高くて、壁もぶ厚いから音を出してもお隣りから苦情きたことないの」と彼女。「この階には、最近 "ジューシー・パニック" を一緒に始めたリュクと、ハードコア・テクノやってるマシュー、ミカちゃんとそのバンドの一人が、いまのところ暮らしていて、みんな四六時中ガンガン音楽をつくってるの」。まみちゃんの音楽は、ポップで変テコで、幼いころのハッピネスな感覚が詰まっていると思えて、私はその世界を覗いてみたかった。(まみちゃんバンドとその活発な活動ぶりに関しては、日本でも下記サイトなどで紹介されている)
http://novelcellpoem.com/artist/mamichanband.html
ドライヴ疲れもあり睡眠をとることにする。....で、起きたら夕方の4時だった。「ちょっと散歩しようよ」とまみちゃん。洒落た店なんかをきょろきょろ見ながら、足どりはうきうきしてくる。「坂が多いのね、ここはどこ?」と訊く。「なんせ、"モンマルトルの丘"っていうくらいだからね。ガイドブックを先に読んどかなくちゃ」と彼女は横目でほくそ笑んだ。薄暗闇のなか白く浮き立つサクレ・クール聖堂の前では、いろんな国の観光客が集まっていた。私もみんな満面の笑みでパリの夜景を眺めていた。
10月21日
今日は "ロリポップ" で日本でも人気のあるデュオDragibus のフランクに会う。パリにはインディペンデントのラジオ放送局が三つあるらしいが、そのうちの一つで、彼が友人達と作っている番組に生出演する。フランクはバスティーユの近くにあるレコード店 "ビンボー・タワー" の店長でもあるので、そこで皆落ち合うことにする。待っていたら、Dragibus の歌手、ローもやってきて合流。このショップは、日本のインディーズ関係のコレクションが抜群。番組進行は、思ったよりずっときちんとしたものだった。私は三曲歌った。まみちゃんがフランス語の通訳を手伝ってくれた。
10月22日
「一分の曲をつくんなきゃ」とまみちゃんは朝からはりきっている。女性アーティストばかりを集めたコンピレーション企画で、制作依頼を受けているので、それを私と共作しよう、ってことらしい。思いついた文句を交互に紙に書いて、連想ゲームみたいに歌詞をつくろう、と提言する。「まず最初は『森の』よ」と彼女が先行。「熊さん」と即座に私。「そう来ると思ったぁ」と彼女は呆れていた。そのあと、4チャンネル・レコーダーでパーカッション、玩具、歌を録音して、あっという間に曲が仕上がった。
10月23日
「今日は観光しなきゃ」と私は朝からはりきる。まみちゃんとまず出かけたのは、カルチエ財団コンテンポラリー・アート美術館。いざ、村上隆展〜Kaikai KiKi〜へ。日本では忙しくてなかなか美術館に足を運べないから、海外でこういう展覧会をみる機会がつくれるのは愉しみだ。「この色彩感覚って、デパートの屋上を思い出すよね」。「あっ、少年ジャンプの表紙が壁にいっぱい。南沙織、山口百恵、なつかしい顔だねー」。「こっちの人から見るとこれがネオ・ポップ・アートなのかも」。この同い年の二人は、リアクションが類似している。村上の個展というよりは、カイカイ・キキ所属のアーティスト、加えて、ポケモンや水木しげるの妖怪モデルが展示された、いわゆるオタク・カルチャーを紹介する意図もありそうだ。そのあとは、ポンピドュー・芸術文化センターへ。まず、企画展
"Sonic Process" を体験してみたが、予想どおりにつまらなくがっかり。デザインされた防音壁などにかなり経費がかかってそうだが、音響的作品とヴィデオの組み合わせなど、アイディアが未消化。マックス・ベックマン展はさすがに充実していた。
10月24日
外は嵐になっている。どうも朝から天気が悪いので、アパートでおとなしくしていよう。まみちゃんとの対話でいろんなことを学ぶ。フランスには芸術やアーティスト個人に関する様々な援助があるそう。失業者にはすべての美術館が入場無料だとか。アーティストの労働組合が発達していて、ギャランティーから半分以上もの税金をひかれるかわりに、そういう大きな仕事を48本くらい年間こなすと、芸術家組合に加入可能で、一年間のみ失業手当が月割りで配給されるとか。「そうすると、若いアーティストなんかは一年間制作に没頭するってことも可能なわけだね?」。「うん。でもそのシステムが悪い率に移行するかもしれない動きがあるので、芸術家のデモが最近多いわけ」。「あと、アニターミトン・スペクタクルっていうシステムがあって、コンサート会場なんかがアーティストを10日間招くのよ。それで食事付きでレコーディングしたり、最後にコンサートで成果をみせればいいのよ」。ざっとした説明だが、私はかなりフレンチ・カルチャー・ショックを受ける。
10月25日
今晩は、パリのはずれモントルイユに位置する Instants Chavires で、例のビンボー・タワーのフランクが企画したイヴェントがある。私もソロで飛び入り参加することになっている。こじんまりした会場だけど、即興やエクスペリメンタルな音楽のメッカとして多くのアーティストが、必ずといっていいほどここを訪れている。最初にエレクトロノイズのデュオが10分ほどあって、次ぎに、これも飛び入り出演でアメリカのグループ "ジャッキー・オウ・マザーファッカー" が演奏。初対面のリーダーはとても気さくなひとで、にこやかに私にも話かけてきた(それにしても、彼らが今月の『The Wire』誌の表紙になってたので、あとでびっくり)。で、三番めは私のソロ。お客さんが前ににじり寄ってきた。反応がすごくオープンなので、エレクトリック・マンドリンを弾き歌いながら、思わずぴょんぴょん跳ねた。普段なら左足でリズムのトリガーを踏んでるから、あんまりしないんだけどね。30分の短いパフォーマンスをおおいに楽しみ、持ってきた
CDがまたたく間に完売したので「ラッキー!」と心のなかで呟いた。最後はフランスのノイズ・グループ Dust Breeders と非常階段のジュンコさんだ。三人がポータブル・レコード・プレイヤーとギター・アンプでフィードバックを作りだす轟音の中を、ジュンコさんのかなきり声が切り裂く。これもなかなかおもしろかった。
10月26日
夕方から始まるホーム・パーティの準備がすすめられている。「リュクは音響係り、ミカちゃん達はお酒の買い出し、お客さんは食べ物持参」。まみちゃんの仕切りで、写真家やファッション・デザイナー、ダンサーなどいろんなジャンルの友人、知人に声をかけてくれた。「ミミヨちゃんの娘さんのお誕生日会って名目なの」。ミミヨさんというのは、ジム・オルークのアルバムの表紙などで有名な画家だ。エミコさんと元ストックハウゼン & ウォークマンのアンドリューも訪れる。彼ら二人は以前まみちゃんバンドのメンバーだった。「今日の出しものは、それぞれが芸を披露するってこと」。なので、まみちゃんと私は一分間の共作「森のくまさん。とろけるシュガー」を臆面もなく演奏。暖かい拍手で迎えられる。ローは Dragibus の曲を自らカラオケで歌う。ゴージャスな土曜の夜だ。しかし、こんなに騒いで踊って、隣人は大丈夫なんだろうか?「今晩は下の階でも百人くらい呼んで盛大なパーティーやってるらしいよ」。どうも建物の構造上、ほんとうにウルサくないらしい。ダンサーのナオミさんと私はハウリング・ポットで、インスタント・パフォーマンスをした。そのあとお酒がまわって寝ちゃった。
帰国後、私はパリのスーパー・マーケットで買った "ルル" のビスケットをかじりながら、モンマルトルやナントで出会った人々のことを思いだす。活動の巣を自分たちでつくりだしているアーティストの勇気や聡明さ、それを受けいれる寛容な土壌。そして、忙しい音楽活動のなか、私のために時間をさいてくれたまみちゃんの心意気に感謝したい。