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トニックの閉鎖から垣間見えるNYアンダーグラウンドの行く末

恩田晃

「ヤバいけれど、魅力的な街だな」。初めてニューヨークを訪れた時にそう思った。1994年の冬、ブルックリンの外れのスタジオでレコーディングをする機会を得たのだ。表へ出ると、荒涼とした風の吹きすさぶ倉庫街、ガラスの破片が街路に散らばっていた。ミッドタウンのホテルに泊まった。通りを歩いても、地下鉄に乗っても、陰鬱(グルーミー)な気配が漂っていた。そんな "危うさ" に惹かれたのだろうか。頻繁にこの街を訪れるようになり、終いに移り住んでしまった。

それからのわたしのニューヨークの日々は、あるクラブでの記憶を抜きにして語ることはできない。1998年、「トニック」はローワー・イースト・サイドにオープンした。元々この地域は貧しい移民が多く、家賃も安く、かなり裏ぶれていた。クラブ自体も似たようなもの、最初の夏は冷房もなく、酒類販売のライセンスもなかった。みな、蒸し風呂のような屋内で氷入りジュースを飲みながら演奏に耳を傾けていた。そこを気に入ったジョン・ゾーンが二ヶ月間プログラムを組み、以前はニッティング・ファクトリーで演奏していたミュージャンが集まり始めた。その後、トニックは、あっという間にインターナショナルな前衛的、実験的な音楽シーンの核となるクラブに成長していった。ダウンタウン系だけでなく、ジャズ、ポスト・ロック、ノイズなど、ジャンルを問わない伸びやかな気風があった。 ニューヨークは「移民の街」と呼ばれ、世界中から様々な理由で渡来してきた人々を受け入れ続けてきたが、トニックにはそれと同様の寛容さがあった。それに、オーナーのメリッサ・カルーソとジョン・スコット夫妻の気さくな人柄が<音楽家のためのコミュニティー・スペース>と呼ぶに相応しい環境をつくりあげていた。演奏せずとも、気軽に立ち寄って音楽に聴き入ることがよくあった。常連のミュージシャンなら入場料を払わなくてもよかった。ただで数えきれないほどのコンサートを観させてもらった。

ところが、トニックは2007年の春、9年に渡る歴史の幕を閉じることになってしまった。家賃が払えなくなり、立ち退き勧告を食らったのだ。悲しいことである。他にも、CBGBなど、近年ダウンタウンのクラブが続々と閉鎖されている。高騰する家賃を賄うだけの利益を上げることができないからだ。<ジェントリフィケーション>によってこの街の文化が破壊されようとしている…。90年代にニューヨーク市長だったジュリアーニは都市の浄化政策を押し進め、違法なクラブやバーを摘発し、浮浪者や売春婦をストリートから一掃した。それによって治安は改善し、犯罪は激減したものの、不動産の高騰や警察権力の強化につながってしまった。特に家賃の上昇はミュージシャンの生活を直撃し、みな、家賃の安いブルックリンに移り住んでしまった。その頃から、街なかのいたるところにガラス張りの高級コンドミニアムに建ち始め、ヤッピーには好都合な生活環境に変わっていった。今、トニックのあった場所にいってみると、あのオンボロな建物は両端を完成したばかりのコンドミニアムに挟まれている。それらがオープンされると同時にトニックが閉鎖されたことは、何かしら象徴的ですらある。思えば、この街は小綺麗になった。あの "危うさ" がなりを潜めてしまった。特に「9・11」以降、ジェントリフィケーションの荒波---絶えざる不動産開発と強化される保安体制---は激しくなるばかり。かつてはアメリカの国家主義、利権主義とは一線を画したアナーキーな風土と文化を有していたニューヨークですら、アメリカ的な価値観に洗われつつある。

さて、これから、ニューヨークの音楽を取り巻く状況はどうなっていくのだろうか? 暗い話にはこと欠かない。だが、わたし自身はこのまま衰退していくとは必ずしも思わないのだ。この街の凄みは文化のスケールがどでかいことである(毎朝、ニューヨーク・タイムズの文化欄は10ページ近くもある。ミュージシャンの数は東京の100倍はいるだろう)。ダウンタウンのクラブの数は減っているが、キッチン、ルーレットのような、非営利団体のアート・スペースは活動を続けている。それに、ブルックリンに続々と新たなクラブがオープンしている。毎晩、これだけの催しが行われている街は他にはあり得ないだろう。祝祭的なムードは損なわれてはいない。かつて、60年代にこれから文化の中心だったソーホーがいまや退屈なブティック街に豹変してしまったように、ダウンタウンはジェントリフィケーションによって形骸化されるやもしれない。だとしても、この街の音楽の胎動は、場所を変え、姿を変えながら続いていくのではないだろうか。

後記:ニューヨークに於けるジェントリフィケーション、文化闘争に興味があれば、高祖岩三郎『ニューヨーク列伝』(青土社)を読んでみるといい。優れた論考である。

『OK FRED』(2007年10月)掲載


Last updated: July 2, 2008