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世界を写しだす鏡

SFT『スウィフト』

恩田晃

ハイウェイを走り抜けていく、雲を突くようなビルの群れが視界の片隅に入り込む / 彼女の銀色に光り輝く髪に、そっと触れてみようと / オーストラリアで見たイルカたちのことを憶えているかい? いや、もしかするとサメだったかな? ふたりして海にもぐり込んだろう、真夏の太陽の下で / 火花はスルスルと地面をのたうちまわり、僕の目の前でなにかが炸裂したんだ、爆弾だった / 皆既日食だよ、太陽が欠けていく、僕はフランスの田舎町にいた、あたりは闇に包まれて / ひとりで酔っ払ってたんだ、煙草のけむりが充満したパブで / あの女に逢って、なにかがぶっ壊れた、それからの三日間というもの、ひたすらやりつづけたんだ、濡れた肌とセックス以外はなにも憶えてない / テレビから、崩れ去っていくWTCの映像がくり返し流れてくる、世界じゅうが、大気ちゅうに飛び散ったグレーの塵芥で覆い尽くされていく………。

サイモン・フィッシャー・ターナーの新しいアルバム『スウィフト』は、アダム・シェファードの映像がDVDとしてカップリングされている。多くの映画監督と共同作業を重ね、サウンドトラックのスペシャリストとして知られるサイモンならではの、自然の成りゆきというものだろう。だが、『スウィフト』は映画ではないし、純粋に音楽というわけでもない。どちらの文脈からも微妙にずれたポイントに、なにものとも判別のつかぬまま、絶妙なバランスで吊り下げられている。じゃあ、これはいったいなんだというのか? これは、彼みずからが<LIFEMUSIC>と明言するように、わたしたちの生活を包みこむ世界のざわめき=ノイズを、緩やかなシャッター・スピードで写し撮ったドキュメンタリーなのだ。

何処にでも転がっている日常風景から切り取られてきた音と映像のフラグメントは、からみあい、もつれあい、お互いに干渉しあって、ときおりまばゆい閃光を発する。そう、これは、わたしたちの住むこの世界を写しだす鏡のようなものなのだ。地球は物凄いスピードで自転し続け、日々は物凄いスピードで過ぎ去っていく。すべては移ろいのさなかにあり、捉えようとした瞬間にはもうそこにない。この音と映像が美しくも儚いのは、そんな風に世界を見つめてきた彼の視線ゆえなのだろうか。

しかし、考えてみれば、いつだってサイモンはあらゆる音楽のポリティックスとは無縁の場所にひとりきりでたたずんできたのだ。十七歳でデビッド・ボウィーの曲をカバーしてアイドル歌手としてデビュー、デレク・ジャーマンとの親交から映像表現とも深くかかわり、近年はエレクトロニック・ミュージシャンとの付き合いも多い。たえず異なる領域に足を踏み入れながらも、彼の音楽そのものはいつも同じであり続けたし、何処かに属することはまるでなかった。彷徨いつづける異邦人のように。『スウィフト』の存在の曖昧さは、サイモン自身のこの世界におけるありようと何処かで通底しているような気がしている。

『スタジオ・ボイス』(2002年10月発行)掲載


Last updated: January 17, 2003