ある日、郵便受けをのぞくと、友人の細海サカナから送られてきた真っ白な封筒が入っていた。中には手紙と、新作のCDが。久しぶりの便りというのは嬉しいものだ。さっそく聴いてみることにしようと、CDのプレイ・ボタンを押した途端、流れ出してきたエレクトロニクスの織り成す繊細な音に心を奪われた。この不思議な感触をなんといえばいいのだろう。どこか遠く、なぜか懐かしいあの場所へと一瞬にして連れ去られるような…。
"繭(まゆ)"、そして "neina(ネイナ)" というふたつのプロジェクトをプロデュースする細海サカナは、1963年に北海道に生まれた。隣りの家が3キロ先の、人の手が加えられたことのない原生林と地平線まで続く草原に囲まれた、とても日本とは思えないような自然環境の中で育った。
「すごい田舎なんで、入ってくる情報量が極端に少ないんです。音楽についても、近くの町にレコード屋が1軒あったのと、あとはラジオぐらい。だから、少し聴くだけで想像力がバァーと広がって、ひとっ飛びに空想の世界へ行ってしまうんですよ(笑)」
こんな環境で育ち、夢見がちな少年であった彼は、10代の後半にソフト・マシーン、ヘンリー・カウ、タンジェリン・ドリームなどの70年代プログレッシブ・ロックに出逢ったという。牧歌的でありながら、どこか陰りのある彼独特のセンスが、この辺りから形成されていったのもなんとなく頷ける話だ。
その後、上京し音楽大学を卒業した彼は、SAROというバンドで自分の音楽表現を継続してきたが、近年になってから使い始めたサンプラーやデジタル・エディティング・システムなどが、彼の音楽を新たなフェイズへと移行させていったようだ。
「テクノロジーを多用してもしなくても、やることは基本的に同じ。音使いや倍音の構成もまったく一緒。ただ、聴き手との関係は少し違うかも…。エレクトロニクス・ミュージックを聴く人って、メロディーや解り易さ、はっきりしたリズムや構成がなくても、素直に受け入れることのできる資質を持ってるし、表現の形態じゃなくて、より本質的なところを読み取ってくれているような気がするんです。だから、こちらも記憶や感情など、より多くの情報を音色に封じ込めることができる」
彼のやっていることは、テクノロジーを妄信した進歩主義にも、ただ懐かしい過去へ還ろうという反動的な態度にも決して毒されてはいない。そんな安易に固定化されたイデオロギーを無化するなにか、人とつながりながら、ひたすら音そのもののダイナミクスの中へ還っていくなにかを素直に感じ取ることができる。
「自分がある瞬間に発した、あるいは、これまで色んな音楽家たちがあらゆる瞬間に発してきた音の振動が、ある場所でずぅーっと鳴り響いている気がするんです。何処でって聞かれても、遠くの星でとか(笑)、比喩的にしかいえないんだけど…。もしかしたら、人の集合無意識みたいなものかもしれないな」
そんな風にいう細海サカナの音楽は、過去でもあり未来でもある、様々な力が交差する<音楽の可能性>という場所を経て、人々の記憶の中に静かに浸透し始めている気がする。
『ミュゼ』Vol. 21(1999年9月発行)掲載