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万物に宿る音:ロスコー・ミッチェル

恩田晃

光陰矢の如し。わたしがアート・アンサンブル・オブ・シカゴ(AAC)の『ピープル・イン・ソロウ(苦悩の人々)』を初めて聴いてから、すでに20年以上もの年月が流れている。生まれて初めて好きになったレコードだった。寺山修司やケネス・アンガーに心酔し、学校をさぼって映画館に通っていた10代の少年にとって、音楽の初体験だった。なんてことはない、昔はインテリといわれるひとの多くがフリー・ジャズを聴いていた(今から思えば、知的なファッション?)。で、育った環境ゆえに、わたしのまわりにはインテリがごろごろいて、そういうレコードがごろごろしていたのだ。セシル・テイラーやアンソニー・ブラクストンは、なんの音楽的知識もないうぶな少年には敷居が高かった。だが、AACの音楽は、社会と折り合いをつけるのに失敗した落ちこぼれ少年のイマジネーションをいたく刺激したものだった。<革命>や<革新>を謳っていても、エモーショナルなフィーリングが音楽に溶け込んでいて馴染みやすかったからかもしれない。彼らの提唱する Great Black Music(偉大なる黒人音楽)の、エキゾティックなパーカッションが渦巻くなかに、サックスやトラッペットやその他の多くの管楽器や、叫びや悲嘆の入り交じったボイスや、ユーモラスな黒い洪笑までが織り込まれたユートピアンな世界にはまり込んでいた。啓蒙的な詩を詠み、荒くれのようにアルトで吠えるジョゼフ・ジャーマンや、破天荒にトランペットを吹くレスター・ボウィーも魅力的だったが、わたしはロスコー・ミッチェルが好きだった。ソロであればなおさら好きだった。『Nonaah』(1978) の冒頭の5分間、えんえんと同じリフをくり返す荒技には覚醒させられたし、『LRG - The Maze S2 Examples』(1979) の音色と空間に対する感覚の特異さは、その後にわたし自身がエレクトロニクスを演奏し始めるうえでいくつものヒントを与えてくれた。彼は、AACのメンバーのなかでは、もっとも楽理的に音楽を突き詰めようとしたと同時に、音色とテクスチャーの可能性をも追求し、<サイレンス>をも含めた<サウンド>において、他に類をみない独自のカラーをつくり上げた。

けれど、わたしがロスコー・ミッチェルを直接体験したのは、ずっと後になってからだ。去年のNYのヴィジョン・フェスティバル、ボイスのトーマス・バックナー、ベースのハリソン・バンクヘッド、ドラムのジェローム・クーパーを率いてのカルテットでの即興だった。彼は、フルート、アルト、ソプラノを持ち替え、時にはローランド・カーク張りに同時に吹き鳴らし、たくさんのベルをスタンドに取り付けた自作の打楽器を叩いていた。その演奏はぶち切れていた。ひとりでアンサンブルをリードしていた。サーキュラーや重音奏法を織り交ぜてテクニカルに魅せることもさながら、演奏のなかば、突如、得体のしれない光景を眼のまえに出現させてみせる。うっそうと茂る森のなかに深くもぐり込み、複雑にからまりあった木の根と羊歯と苔におおわれた地面の下から光り輝くものを探し当ててみせる。音楽の森とはかくも深きものなのか? 20年以上まえ、『苦悩の人々』のレコード盤に針をおろしたときにも同じ光景を視た。まるで幻のようだ。だが、何度も同じものを視るということは幻ではない。彼、もしくは彼らのイマジネーションと直結したなにかだ。アニミスティクで、ミクロなレベルにまでスピリットがくまなく宿っている。そして、それは、彼が背負ってきた音楽の伝統=<偉大なる黒人音楽>の森羅万象にぴたりと照合している。

ロスコー・ミッチェルの世界観がもっとも端的に表現されたアルバムは、97年にリリースされた2枚組のソロ・アルバム『Sound Songs』だろう。フリー・ジャズでは70年代から盛んになったアカペラを基調にした作品だが(すぐに思い出すのはスティーブ・レイシーか…)、彼の場合は、いくつかの管楽器とパーカッションを多重録音し、メロディーやハーモニーと打楽器で彩られた空間が混然一体となり、ひとつのオーラを放っている(それにしても、この異様な緊張感は何処からやってくるのだろう? 暴力的ですらある)。そして、このアルバムを彼の芸術的な最高峰とすれば、リリースされたばかりの3枚組のアルバム『Solo 3』(2003) は、彼の世界観のとてつもないスケールの大きさをあらわしている。計38曲。1枚目がソプラノやバス・サックス、2枚目がアルト、3枚目がパーカッションをベースにしたインプロヴィゼーションだが、数曲のコンポジションや、コンポジションの一部を発展させたインプロもある。そもそも、彼は、インプロヴィゼーションとコンポジションの間に特別な線を引いているわけではないようで、どちら側からも往復できるようなアイディアの循環が3枚のアルバムを通して貫かれている。『Sound Songs』で顕著だった暴力的な静謐はここでは薄れている。いったん確立した彼の<音楽>を少しずつ<ことば>に翻訳していくような、みずからの世界の体系化へ向けた強固な意思を感じる。デビュー・アルバム『Sound』から『Sound Songs』を経て、『Solo 3』へ、すでにかかわってきたアルバムは100枚以上。『Solo 3』は、彼が<ことば>を生み出すだけの<音楽>を積み上げてきた証しなのだろう。

おそらく、ロスコー・ミッチェルが優れた音楽を生みつづけたのは、独自のアニミスティクな世界観を、エモーショナルな側面だけでなく、楽理や演奏技術にまで応用し、多様な可能性を試しながら自身の音楽の革新をはかったからだと思う。ストリングス・カルテット、パーカッション・アンサンブル、オーケストラを含むさまざまな形態のために楽曲を書き、演奏し、ミクロコスモスをアメーバ状に拡げていった。もとはロスコー・ミッチェル・アンサンブルを発展させたAACのカラーを守りジャズの範疇にとどまれば、いまごろはビッグ・ネームとして安泰だったかもしれないものを、飛び回る好奇心にまかせて自分を未知の領域へ駆り立てていった。それだけのビジョンがあったということだし、『Solo 3』のようなアルバムを聴けば、それは120%実現されている。だが、コマーシャルな意味では、求道的な真摯さ、音楽の晦渋さゆえに理解されない不遇な境遇がつづき、金銭的に恵まれない暮しを送ってきた、という話も聞く(マイナー・レーベルからひっそりとリリースされた『Solo 3』は、いったい何枚売れるのだろうか、といらぬ心配までしてしまう…)。とはいうものの、ハイ・リスク=ハイ・リターン、このように自分の生活のすべてを賭けて、危険を冒しつづけてきたゆえにこの境地まで辿り着いたに違いない。ジャズのアバンギャルドが規格化され、本来持っていた前衛としての意義を失ってしまった今、彼のように自己の表現になんら疑いを持つことなく、100%の身を捧げることのできる音楽家がいったい何人いるのだろうか? このアルバム、『Solo 3』に秘められた音楽の豊かさとスケールの大きさは、ジャズにおける本質的な事件と言っていいだろう。

『ミュゼ』Vol. 49(2004年5月発行)掲載


Last updated: August 13, 2004