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失われた時を求めて

フィリップ・ジェック『Stoke』、『Vinyl Coda 1-3』、『Vinyl Coda 4』

恩田晃

<驚くべき大発明! 何度でもくり返し再生できる音響装置!>、1887年にトーマス・エディソンがフォノグラムを開発した時、アメリカの科学雑誌にこんな見出しの記事がでた。それ以来、フォノグラムは改良が進められ、レコード・プレーヤーとして世界中で使われるようになった。かつては生演奏でしか聴くことができなかった音楽は自宅で気軽に楽しめるようになり、何万、何億という音源が黒い塩化ビニール盤に吹き込まれた。だが、CDが音楽ソフトの主流を占める今となっては、ほとんどのレコード盤、それにレコード・プレーヤーは屋根裏部屋か物置きに押し込められ、ホコリとカビに塗れたまま忘れ去られてしまっている。前世紀の前半に科学技術の最先端だった78回転のレコードは、いまや再生することすらできない。近代から現代へ、ひとびとはテクノロジーの進歩と共に、過去にみずからが生み出してきた遺産を忘却の彼方に追いやりながら、ひたすら未来へと突き進んできた。

フィリップ・ジェックは風変わりなターンテーブル奏者だ。ほとんどのDJがスタンダード機種のテクニクス1200を使う現状にあって、ダンセット、フィリップスなど、だれも見向きもしない旧式のレコード・プレーヤーをがらくた屋か何処かで見つけ出してきて愛用している。それらをステージに並べ、老いぼれオーケストラを編成し、キズだらけのだれも聴かなくなったレコードを演奏する。ターンテーブル音楽特有のコラージュっぽさも、アクロバティクな妙技もない。ほとんどをレコードの自動演奏に任せ、切れぎれのループで緩やかに空間を満たしていく。すると、おぼろげな記憶のような郷愁に満ちたサウンドスケープが自ずから立ち現れてくる。彼は、1993年に、『A Vinyl Requiem』という180台のレコード・プレーヤーを使ったパフォーマンスをロンドンで行ったことがあるが、彼の音楽は、<失われたものへのレクイエム>とも言えるだろう。

彼は、過去20年間に渡って、音楽というよりはパフォーマンス・アートの世界で活動してきた。ダンサーとのコラボレーションも多く、"音" というよりは "空間" 全体で音楽を構成する環境音楽的なセンスもそうやって培われたのだろう。長いキャリアの割りにアルバムは少ないが、ここ数年はドイツのインターメディウムから『Vinyl Coda 1-3』と『Vinyl Coda 4』を、イギリスのタッチから最高傑作『Stoke』を、続けざまにリリースして注目を集めた。ずいぶんと外れた道を長い間ひとりきりで歩んでいたのが、ここにきて状況が彼の音楽に添い寝し始めたような気がする。<失われた時を求めて>、人類の記憶をめぐる旅に出たマルセル・プルーストのように。フィリップ・ジェックは、ひとびとがレコード盤に記録し続けてきた莫大な量の音源に身を浸しながら、音楽とテクノロジーの狭間に浮かびあがる -- 音の記憶 -- と戯れつづけている。

『ミュゼ』(2003年発行)掲載


Last updated: February 16, 2004