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『アン・プティ・トゥール』レコーディング日誌

恩田晃

97年5月のある晴れた日、私はアン・ドラム・ミュジカル・アンスタンタネのジャン=ジャック・ビルジェに逢うためにパリを訪れた。以前から彼らの活動に敬意を抱いていたし、ラブリーで情熱的な音楽が大好きだった。共に仕事をすべきだと感じていたのだが、正直なところ、その時は何をしたいのか漠然としていた。とにかく、ペール・ラシェーズ墓地近くのジャン=ジャックのアパートを訪れたのだが、初めての出逢いは私にとって必ずしも楽しいものではなかった。私達は話し始めたものの、彼は上の空。時折、何処かから電話が掛かってくると、相手と怒鳴り合うようにして話しているし、ちょっとパニック状態なのだ。「大丈夫かい?」と声をかけると、「実は酷いトラブルに巻き込まれているんだ。ある女と恋に落ちてしまったんだが…」。これ以上はプライベートなことなので言わないでおくが、要は誰にでも起こり得る"恋愛のトラブル"というやつだ。でも可笑しなことに、その話を聞いた途端、私は自分がパリで彼らと何をすべきかが驚くほどはっきりと"視えて"しまったのだ。「自分達のありふれた日常生活、特に愛の不条理についてのアルバムを創りたいんだ」と私は彼に言った。

ちょっと話が飛ぶが、それ以前の私はといえば、オーディオ・スポーツというプロジェクトで、様々な音楽的スタイルを折衷しては楽しんでいたのだが、90年代の半ばには、もう、そんな風に音楽が音楽として発展し、拡張していく可能性に限界を感じていた。実験性なんて大義名分で音楽をつくる虚しさ。そして、自分がそれまでにやってきたことについても、深い失望を感じていた。そんな幻想ではなく、(そんな幻想が音楽の発展に促し、それが私達を熱くさせた時代があったことも確かだが…)自分の個人的な生活をダイレクトに反映した音楽を創りたくなったのだ。

夏になるとジャン=ジャックが東京にやって来た。私達は東京の街をぶらつきしながら、自分達の個人的な生活と音楽の関わりについて長々と話し合った。そして秋。私は具体的なプランを携えて、レコーディングのためにパリを再び訪れた。以下、その時に記していた日記から少しばかり書き出してみよう。

10月5日
朝10時にパリ郊外にあるジャン=ジャックの家に着く。家といっても、地下室をスタジオに改造してあり、デジタル・レコーダーやミキサー卓も揃っていて、充分なクオリティーで録音ができる環境が整っている。よく見ると、すべての機材についている会社のロゴがビニールテープで隠されて、何処の製品か分からなくなっている。フランスのミュージシャンは伝統的に左翼色が強く、特に彼らはその最たるものなのだが、自己に関するすべての行為において政治的な意図を明確にしようとする姿勢が、ここまで徹底しているのかと思うと、正直びっくりしてしまう。

夕方までアルバム全体のプランを話し合う。私とジャン=ジャックが書いた多くのテキストの中から使うものを選び、私が用意した30曲分以上のアイディアから、それに合うものを決めていった。その上、ジャン=ジャックも色々なアイディアを出してくるし、もの凄い量のアイディアがノートに記されていく。けれど、私の頭の中にはアルバム全体を覆う“響き”がはっきりと鳴っているので、アイディアの洪水に流されることはない。今のところすべては順調に進んでいると感じている。

10月6日
朝、ベルナール・ヴィテがハーレー・ダビッドソンに乗ってやって来る。すでに60歳を超えている彼は、フランス音楽界の生き証人とも言うべき優れたトランペッターだ。これまでの輝かしい経歴からすると、怖くて近づき難い人を想像するが、目の前の彼は、ダンディーで優しげなおじいさんだ。話していると、恐ろしく柔軟な感性の持ち主だということが良く解る。

レコーディングは、ベルナールとアニエス・デスノスにテキストを朗読してもらい、それを録音することから始めた。こうやって紙に書かれたテキストを実際に声に出してみると、観念ではなく極めて体感的なものとして、もともとあった意図や目論みを超えた音楽的な力を感じることができる。「どの言葉も、これまでの人生の中で使ったことがあるセリフだよ。これはわれわれの人生における愛についてのアルバムだね。なんて素敵なんだ」とベルナールが私に言う。幸せな一体感が私達を包み込み、世界とつながっていると感じる。こんな瞬間のために音楽をやっているのかもしれない。

私は捕え難く、移ろいやすい、束の間の生の断片を掻き集め、自分の存在と世界の結びつきを知ろうとする。生の断片は、その存在意義と空虚さでもって、私達の人生のどの瞬間をも等しく輝かせてくれる。

10月7日
一曲目にこのアルバムのタイトル曲「アン・プティ・トゥ-ル」を録音する。この曲の激しいパーカッション・リズムは、モンマルトルの街頭でサンバ・カーニバルの大群集に偶然出くわした時にカセット・レコーダーで録音したものだ。そのリズムにベルナールが朗読を加えて骨格ができ上がると、ジャン=ジャックが「よし、サンバ部隊をブーレーズの曲を演奏しているコンサート会場に乱入させよう!」と冗談のように、現代音楽風のオーケストレーションを弾き始めた。そして、それがまた奇妙な具合に曲やテキストの言葉にフィットするのだ。「それは矛盾ではなく、パラドックスなのさ。ぼくは荒唐無稽な話が大好きだ」。

午前中はみな調子が良く、もの凄いスピードで事が進んでいく。遅い昼ご飯にありつく頃には、何とアルバムの3分の2を取り終えてしまった。しかし、その時点で集中力を使い果たしてしまったのだろう。夕方以降は何をやっても鳴かず飛ばず、ほとんど禄なテイクが録れず、最後には皆疲れ果ててしまう。

10月8日
写真家の茂木綾子もレコーディングに顔を出す。このアルバムは音楽に写真とテキストを添えた、映画のようなマルチメディア作品としてリリースするため、彼女の写真が必要なのだ。今日は全員で演奏する曲はないので、茂木は手の空いた人を捕まえて撮影をしている。彼女はカメラを構え、ソファーに横たわるアニエスをじっと見つめている。ターコイス・ブルーの窓枠から差し込む光が彼女の横顔と赤いワンピースを照らし、とても美しい。私はレコーディングなどそっちのけでその光景に見惚れていた。「何かを見つめるという行為はそれ自体にしか原因を持たず、その満足の度合いはそれ自体のダイナミクスの中にしか存在しない」。ふと、そんなことを思う。そのことからこのアルバムをどうまとめるかについて考えが広がっていく。聴き手に、ひとつの完成した物語を提示したり、無理に説明したりするのはやめよう。未完成でいい。音楽も写真もテキストも、すべてを断片のまま差し出すのだ。パズルのように、それを組立て、完成させるのは聴き手の想像力にまかせればいい。

夜7時にすべてのレコーディングを終える。心地よい解放感と疲労が一挙に押し寄せてくる。

『ジャズ批評』100号(1999年7月発行)掲載


Last updated: January 22, 2002