いったいこの人はなにものなんだろう? o.blaat こと上西啓子ちゃんに逢ったのは、ずいぶんまえ、わたしが梅津和時さんのアルバムをニューヨークでプロデュースしていた時だったかな。ダウンタウン系のミュージシャンの間でやたら顔がひろく、色んな人を紹介してくれたり、ライブやレコーディングのブッキングを手伝ってくれたり、ニューヨーカーらしいバイタリティーでぱきぱきと仕事をこなしていく。で、そのうち、彼女をよく知るに及んで、ますますこの人はなにものなんだろう? ???はひろがっていった…。ある時は、バーのレジにコンタクト・マイクを仕掛けて音を拾い、それをプロセッシングしていたり(客が飲み物を買う度に音がする)、数百人が集まる盛大なディナーで、DJをしながら、これまたコンタクト・マイクでキッチンから拾ってきた音をミックスしていたり…。エレクトロニクス系のミュージシャンの間でもやたら顏がひろく、トニックで [electroluxe] というありとあらゆるタイプの電子音楽ミュージシャンを集めたイベントをオーガナイズしていたり、 [eluxe] というコンサート情報をまとめたニュース・レターをみんなにメールしたり…。コミュニケーションの達人というか、とにかく人と人をつないでいくのだ。で、2001年頃だったかな、彼女自身がラップトップで本格的に音楽をつくり始め、ライブの時に「ステージに上がるのが嫌やから」と楽屋で演奏して、客はからっぽのステージを見つめて唖然としていたり…。どうも彼女なりのロジックがあるようだが、それは、電子音楽のものとも違うし、アートのものとも違う。どこかズレている。で、本人いわく「わたしは、"環境アーティスト" なの」。なるほど、そう言われると納得がいく。要するに、彼女は、人がその場を楽しめるような "容れ物" をつくり出すのだ。確かに、彼女のサウンドは、柔らかなテクスチャーで、オブラートのように聴く人を包み込む。ストラクチャーは曖昧で、空気のよう。基本は、コミュニケーションのためのトゥール。学術的にコンセプチャルではなく、私的に "コンセプチャル" (それは、彼女が、芸術じゃなくって、生活レベルでものごとを考え行動しているからじゃないかな)。で、『Two Novels』は、彼女のデビュー・アルバム。前半は、カフ・マシューズ、トシオ・カジワラ、イクエ・モリらとのコミュニケーション(コラボレーションとはちと違う)、後半は、ヘッドフォンで聴くべし、という但し書きのついた、"コンセプチャル" な音の断片が収められている。電子音楽ともエレクトロニカともちと違う。コミュニケーションのための "環境" 音楽とでも言えばいいかな。なんとも収まりがつかないところが、わたしは面白いと思う。
『intoxicate』(2004年12月号)掲載