寒さも緩み始めた2月のニューヨーク。朝早くにダウンタウンにあるアザー・ミュージックの前でローレン・マザケイン・コナーズと待ち合わせた。黒いスーツを着て、青いタータン・チェックのマフラーを無造作に首に掛けている。ニューヨークっぽくないな、というのが最初の印象だった。彼のかもし出す雰囲気は、巨大な物質主義の嵐が渦巻くこの都市のイメージとはあまりにもかけ離れていて、異なった時代から突然、現代にまぎれ込んでしまったタイム・トラベラーのように見えた。まるで世界のすべてを見通すかのような黒いひとみはとても澄みきっている。優しげに、ことば少なく、ぼそぼそと話す。その声の静かなトーンは彼の音楽そのものだった。
ローレイン・マザケイン・コナーズは、25年にも及ぶ音楽活動において、すでに30枚近いアルバムをリリースしている。ほとんどのアルバムはソロ・ギタ−だけで、しかも、彼の自宅にあるの4トラック・カセット・レコーダーを使って録音されている。その音がこれまた凄いのだ。ロー・クォリティーで、とにかく音が悪い。それに、カセット特有のヒス・ノイズの嵐の中で、彼の弾くギターの音も異様に線が細くて、あまりにも痛々しい。でも、弱々しい、わけではない。表面的な脆さに反比例するかのように水面下では暴力的なカオスが渦巻いている。アルバムによって設定されたテーマは異なり、あるときはアイルランド人の苦難の歴史であったり、外界から閉ざされた修道院に何十年も引きこもって暮らす尼僧の話であったり、彼が言うところの『モダニズムによって忘れ去られてしまった多くの物語』が激しく波うつ感情とともに語られている。もちろん、彼はギターを弾くだけなので、ことばはない。でも、彼のギター自体がことばであり、ポエトリーであるようだ。彼の音楽は現代的な価値基準からするとアナクロニズムの極致とも言えるだろう。けれど、それがもたらす強烈な違和感は、モダニズムが切り捨ててきた本能に基づく人間の深い感情を呼び覚ます。世界に対してあまりにも異質なゆえに、彼の音楽に触れると、意識下に眠っている猛々しい感覚が一挙に解き放たれてしまうのだ。
彼に逢ってみようと思ったのは、去年リリースされた新作『Airs』を聴いた時だ。フィンガー・ピッキングのギターだけで風変わりなブルースを奏でるのはいつも通りだ。けれど、これまでのアルバムにあった暗さが薄れ、雲ひとつない青空の下にひとり佇んでいるような、澄みきった穏やかさがそこにはあった。なにが彼の音楽に変化をもたらしたのか知りたくなった。「私の音楽はこれまで、静けさとクレイジーさ、ふたつの極の間を行ったり来たりしているんだ。今回の『Airs』はもっとも静けさの極みに辿り着いたアルバムじゃないかな」では、このアルバムのテーマは?「なにもないよ。"Airs" 空気だよ」彼はそう言って楽しそうに笑った。とても穏やかなバイブレーションが伝わってくる。おそらく、彼はもう以前のような孤独な存在ではないのかも知れない。昨年の秋にはサーストン・ムーアがオーガナイズして、ローレン・マザケイン・コナーズが50歳になったことを祝う、1ヶ月にも及ぶ連続コンサートがトニックで開かれた。『Autumn's Sun』という、彼の普段の生活が、まるでポエトリーのように淡々と綴られている日記集も出版された。新作も続々とリリースされている。「音楽活動を始めてから最初の15年間はどこからも無視されていたよ。ギグをやっても客がひとりも来ないということもあった。それを思えば、最近は楽になったよ」しかし、なぜ、これほど長い年月に渡って独特なスタイルを貫き通すことができたのだろうか。コマーシャルさなど微塵もないし、決して楽な道のりではなかったはずだ。「これしかできなかったからさ。他の道を選べるなら選んでいたよ」
彼は、諦めにも似た静かな笑みを浮かべながら言った。こちらの思い入れからすると拍子抜けするような答えだが、あまりにも率直で彼らしい。とても素敵な人だな、と思った。
『スタジオ・ボイス』2000年6月号掲載