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エイヴィン・カンという秘境

エイヴィン・カン 『Live Low to the Earth, in the Iron Age』

恩田晃

エイヴィン・カンは、現代の音楽の世界に残された数少ない秘境のようなものだ。これまで、彼の存在は、ハードボイルドに未知の領域へ挑みつづける音楽の旅人たちの間で話題にのぼることが多かった。「エイヴィンを聴いたかい?」、とミュージシャンどうしでささやきあい、秘境の存在を確かめあってきた。ジョン・ゾーンなどは、彼の才能をいちはやく認め、惜しみない援助を与えてきた。にもかかわらず、彼の名がメディアに登場することはまれで、一般的な認知度はなきに等しかった。知るひとぞ知る、ということか。しかしである。彼の音楽的ないとなみは、ひとの眼に触れずとも、地下を流れる水脈のように、大地にミネラルを含んだ清水を途切れることなく供給しつづけ、音楽の肥沃な土壌をつくりあげることに貢献してきたように思う。「音楽というものは、樹木になる果実のようなものなんだ。地上からさまざまな滋養分を吸い込んで結実するものなんだ」。エイヴィンは、わたしにこう語ったことがある。彼は、最新の風潮なんてものは端から無視しつづけ、バイオリンを片手に旅をつづけながら、マイペースに音楽の探究をつづけてきたのだ。

去年の秋、エイヴィンの最新作である『Live Low to the Earth, in the Iron Age』が突然送られてきた。その音楽を聴いたときの驚きたるや…。シアトル郊外にある渓谷に独りでおもむき、水辺のほとりのスタジオで、すべてのパートを即興で、しかもワンテイクで録り終えたというこのアルバムは、未来永劫を感じさせるラガ的なドローンと、一度聴いたら忘れることのない心に染み入るようなメロディーのリフレインからなっている。シンプルで心優しい音楽は、明らかに、既存のどの音楽とも違った響きを持っていた。グレートフル・デッドやテリー・ライリーにも通じる西海岸のヒッピー思想や、彼のスピリチャルな導師であるバイオリン奏者のマイケル・ホワイトのミスティシズムや、インド音楽のラガや…、彼がこれまでに辿ってきた音楽的な遍歴のすべてが含まれ、なおかつオリジナルな音楽として結晶していた。<音楽本来の在り方を探究する>、そして<新たなる音楽の話法を導きだす>、相反するかのようなふたつのベクトルが交わる逆説的なポイントを経て、過去と未来にまたがるエイヴィンの音楽的冒険のひとつの到達点がそこにあった。そして、それはわたしにオーネット・コールマンの辿ってきた孤独な道を想わせた。そう、ここで、エイヴィンはだれよりも“オーネット”たらんとしている。この絶望的な世界に真正面から向かいあい、文明に対する深い洞察とともに、ひとびとに音楽の愛を説こうとしている。それを徹底的に生きざまで示そうとしている。自分の持つビジョンを信じ、それを高いレベルで達成しようと、思索と摸索をくり返している。このアルバム『大地とともに生きよ、鉄器時代のように』は、現在の音楽の世界において極めてラディカルな試みあり、なおかつダウン・トゥー・アースな感覚にあふれている。

『スタジオ・ボイス』(2003年2月号)掲載


Last updated: February 16, 2004