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エトランジェの日記

恩田晃

[東京の夏] 点滅する車のテールランプ。真夜中に植物園に忍びこむ。太陽を拒むひまわり。あなたの音楽って難民ぽいわね。あくまで夜の匂い。[ハノーバーの秋] スタジオの窓から見える煙突。澄みわたった青空。満ち足りた生活らしきもの。製粉所に住むおかま達。[ニューヨークの冬] 難民たちのクリスマス・パーティー。地下鉄の中の出逢い。目を見つめる。そして、目を閉じる。

目の前を多くの光景がすぎ去っていったのか? それとも、わたしが多くの光景のなかをめぐっていたのか? どちらが正しいのかよくわからない。あふれんばかりのイメージは渦巻きながらわたしを飲み込んでしまう。考えても無駄だといわんばかりに。一一 この半年でわたしの生活は激しく変化した。夏の終りから、アメリカのニュー・ハンプシャー州にあるハノーバーという小さな田舎町で暮らし始めた。作曲家のジョン・アップルトンが運営する電子音楽のスタジオにコンポーザー・イン・レジデンスとして滞在している。ニュー・ハンプシャーはほとんどが白人の中産階級以上で占められた保守的な州なので、わたしのようなボヘミアン暮らしに慣れたよそ者には少しばかり息苦しい。あまり外を出歩かないし、自然とスタジオにこもりがちになる。考えようによっては、仕事に集中できてちょうどいい。

2000年最後の月は、ブルックリンのグリーンポイントにある友人のアパートで過ごしている。この地域の住民の多くはベルリンの壁が崩壊した89年以降にニューヨークにたどり着いたポーランド系の移民だ。通りを歩いていて聞こえてくるのはポーランド語かたどたどしい英語のどちらかしかない。長らく抑圧的な社会主義体制下に暮らしてきたせいだろうか、誰もが諦めにも似たなげやりな表情を浮かべている。人生を得体のしれない政治的な力によって翻弄されつづけてきた人達の哀しさ。でも、その反面そういう境遇を生き抜いてきたたくましさも感じる。食料品店で買い物をしていると、恐い目つきをしたおばさんたちが平然とした顔で列に割りこんでくる。祖国でも彼女たちはそうやって家族のための食料品を手に入れていたのだろう。(ポーランド人の少女たちは真っ白な肌に金髪で天使のように可愛いのに、それがあんなおばさんのようになってしまうとは…)

明るい未来への渇望と暗い過去の重み、移民の街特有の酸えた匂いが街を覆いつくしている。そんな匂いを懐かしいと感じるのはわたしだけだろうか? 友人のアパートの窓から通りを眺めていると子供の頃に見た光景とどこか重なりあう気がしてきた。

子供の頃、わたしの家族は奈良県にある大学の教員のためのアパートに住んでいた。月々の家賃は5000円。みすぼらしく薄汚れたアパートで、まわりを部落民が住む長家に取り囲まれていた。そんな環境のせいだろうか、住んでいるのは外国人がやたら多かった。わたしの父親もそうだが、たいていは大学で教鞭を取っていた。インテリか、アーティストか、よそ者か、ただの流れ者か。あまりまともな人はまわりにいなかった。わたしは部落の子供たちと一緒に遊ぶのが好きだった。駄菓子屋に万引きをしにいったり。エロ本の自動販売機を破壊したり。消化器をあちらこちらからかっぱらってきたり。とにかく色々なものを盗んできて自分達でこしらえたアジトに集めていた。消化器など集めてなにをするかといえば…。その頃、部落は解体されていく最中で、多くの人がどこかよそへ移り住み始めていた。そのため、取り壊し中の長家がいたるところにあり、それに火をつけて燃やすのだ。もちろん、そのままにしておくと火が拡がってたいへんなことになるので、消化器をぶっぱなして鎮火する。無茶苦茶なことばかりしていたように思う。部落には、他の社会から隔離されているためか、そういう事が赦される雰囲気があった。誰もが『見放されている』という気持ちを心のどこかに隠しもっているので、お上に従う必要がなかった。

わたしの家族がそのアパートで暮らしていたのはわたしが11歳になるまでだ。幼い子供なので、部落民に対する差別を意識していたかどうかは憶えていない。両親のまわりには左翼かぶれも多かったし、自分がマイノリティーであることに意義を見い出し、それを拠りどころにして生きてている人もたくさんいた。ただ、わたしは子供の頃からものごとを観念的にとらえる人達がどうしても好きになれなかった。言いわけばかりで力強く生きることができない退屈な奴らだと思っていた。だから、部落の実状や自分の生い立ちがどうのこうのなど、どうでもいい。一緒にいた子供たちのアナーキーな、破れかぶれな在り方が好きなだけだった。

わたしたちは火遊びに熱中していた。燃やせるものならなんでも燃やしてしまいたかった。

窓から通りを眺めていると、すぎ去った記憶は、前後に絡み合い、崩壊と再編をくり返す。こことあそこ。「意味なんてないさ、意味なんてないさ」。誰の歌だったかな? 耳を澄ますとクリスマス・ソングが、人の声が、通りから聴こえてくる。

『アンボス・ムンドス』7(2001年2月発行)掲載


Last updated: January 22, 2002