Improvised Music from Japan / Information in Japanese / Aki Onda / writings

Private Chart 10 for Studio Voice

エディ・ゲイル『ゲットー・ミュージック』

恩田晃

音楽にはわけのわからないことがたくさんある。いったいそれは何処からやってきて何処へ行くのか? ---- 外は雨が降っている。わたしはブルックリンのうらぶれた人気のない通りにいる。薄汚れたデリでまずいコーヒーをすすりながら冷えきった身体を温めようとしている。さっきまでこの辺りを歩きまわっていた。なぜ雨に日にこんな険悪な場所をうろつかなきゃならないのか? 自分でもよくわからない。街路は打ち捨てられた無人のビルが並んでいて、窓ガラスはことごとく破壊されている。壁という壁は大量の雨を吸い込み黒ずんで脆くも崩れようとしている。かつてはひとびとが住み、確かな暮らしが存在していたという記憶だけが通りを彷徨っている。落ちるところまで落ちてしまった場所。それ以上は行きつくことのない極点。 ---- かつてブルックリンにエディ・ゲイルというジャズ・トランペッターがいた。60年代の後半にブルーノートから『ゲットー・ミュージック』、『ブラック・リズム・ハプニング』という二枚のアルバムをリリースしたが、すぐに廃盤になり、ひとびとの記憶から忘れ去られてしまった。サン・ラーのように秘密結社めいたグループを結成し、フリージャズとフォークとゴスペルが入り交じった不思議な音楽を演奏していた。(事実、彼はサン・ラーから多くを学び、サン・ラー・アーケストラのメンバーとして活動していた時期もあった)サン・ラーはラディカルなコンセプトとはうらはらに正統的なジャズの範疇からけっして逸脱することはなかったが、エディ・ゲイルはより前人未踏の荒野に歩みだそうとしていた。未だ明るみに晒されていない暗がりを進むときのスリルと研ぎ澄まされたナイフのような静寂が見事に同居していた。この十年間というものエディ・ゲイルのアルバム『ゲットー・ミュージック』に収められた『ストップ・ザ・レイン』という曲はわたしの記憶のなかにずっと巣食い続けてきた。ときおり、とてつもなく美しいものに触れたり、どうしようもない寂しさを憶えたり、わたしの心理状態が極点に達すると、この曲の旋律が頭のなかを旋回し始めるのだ。"ストップ・ザ・レイン! ストップ・ザ・レイン!" と繰り返すコーラスがフラッシュ・バックしてくるのだ。なぜかはよくわからない。 ---- 外は雨が降っている。かつてブルックリンに降り注いだ雨のように、今日も雨がひとびとの記憶の中に降り注いでいる。

『スタジオ・ボイス』(2003年1月発行)掲載


Last updated: January 18, 2003