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<ブラック・フェブラリー>、二十年目のコンダクション

ローレンス・"ブッチ"・モリス

恩田晃

今年は、ローレンス・"ブッチ"・モリスが「コンダクション」を始めてから20周年ということで、それを祝う<ブラック・フェブラリー>というイベントがニューヨークで行われた。二月の28日間、ブッチが毎日何処かの場所でタクトを振るというもので、私もエレクトロニクス奏者のひとりとしていくつものアンサンブルに参加していた。毎晩、15人から30人の演奏者と数セットをこなし、さらには、相当な数の観客を呼び込むことのできるブッチの度量と雅量の大きさを痛感した一ヶ月だった。

まず、「コンダクション」とは何かを簡単に説明しておくと、コンダクターであるブッチが、記譜された楽曲、もしくは記譜されていない即興をベースにステージ上でリアルタイムにオーケストレーションし、アレンジし、作曲作品を完成させるためのシステムと言えるだろう。演奏者に対して、身振り、手振り、さらには目配せなどのジェスチャーで具体的な演奏法を指示し、アーティキュレーションやフレージングを変化させ、音楽的な形式や構造を展開させていくのだ。そして、面白いことに、彼はこの「音楽をつくりだす為のシステム」を、クラシカルなアンサンブル、ジャズのビック・バンド、ボイスのみのコーラス隊、グルービーなファンク・バンド、果ては上記の混成バンドまで、多様な音楽の演奏形態に応用している(この辺りが芸術至上主義的なヨーロッパとは違い、雑多な音楽が混在するニューヨークらしいところか)。とは言っても、演奏者はなんでも自由に演奏できるわけではない。ブッチの音楽的な指向性と嗜好性…メロディックな叙情性とダイナミックな解放性の対比、ピアニッシモからフォルティッシモまでの音量の適切な表現など…に厳密に従う必要がある。あくまでコンダクターと演奏者たちの共同作業で音楽をつくりあげていくのだ。

私自身、この世界で長年仕事をしていて思うのだが、あるひとつの優れたアイディアを得たとしても、それを継続、発展させていく困難は並み大抵のものではない。音楽的な風潮など数年のうちにコロリと変化してしまうからだ。コンダクションは、80年代のニューヨークのフリー・ジャズとダウンタウンの音楽シーンのなかで孵化し、その後は即興演奏者の国際的なネットワークの急速な成長とともに、その集団的想像力の規模を拡大していった。だが、そういったシーンはいまや失速し、多くのアイディアも失効している。そのなかでブッチが勢いを失わなかったのは、背後に何かしらの理由があるのではないだろうか。「コンダクションを "エクスペリメンタル" な何かと捉えるのは、とんでもない間違いだ。それに、"オルターナティブ" な何かと関連付けられるのもご免蒙りたい。コンダクションとは、私が心に描く音楽に到達するための手段なんだ」と彼は言う。あくまで「音楽をつくりだす為のシステム」である、と。コンダクションは、厳密な書法としてすでに確定しているが、それが内包する創造力と想像力はいつも外に向けて開かれているのだ。

数日前、こういうことがあった。私があるコンサートでターンテーブル奏者たちと演奏していると、ブッチがふらりと覗きに来て、「面白いね。次のコンダクションはターンテーブル奏者だけでやってみようか」。事実、コンダクションは、楽曲の展開の緩やかさとブッチの繊細なテクスチャーを好む性格からか、音符ではなくサウンドを演奏するエレクトロニクス奏者にとっても親しみやすいのだ。そういった好奇心の旺盛さと感覚の柔軟さもブッチが生き残ってきた理由のひとつかもしれない。

『スタジオ・ボイス』(2005年5月号)掲載


Last updated: July 2, 2005