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バワリー通りにて

恩田晃

暑い夏の記憶も薄れつつある十月の昼下がり、僕は友人のファビオとバワリー通りを散歩していた。ファビオはこの街で「耳あか」というレコード屋を経営している。WFMUでラジオのDJもしている。七十年代からこの街の音楽の変遷をつぶさに見て、聴いてきた。

CBGBの前を通ると、黒ずくめのパンク・キッズがたむろしている。ファビオが寂し気に言う。「今月、このクラブは 三十年以上続いてきた歴史に幕を閉じるんだ。無理もないよ。昔この辺りがどんな風だったか教えてやろうか。ホームレスと売春婦がたむろするドヤ街で、バーと木賃宿と立ち並び、深夜に歩こうものなら強盗に出くわしたものさ。危ないったらありゃしない。小奇麗なビルが立ち並んで安全そのものの今のバワリー通りからは想像できないだろ」

CBGBは1973年にオープンしたロック、パンクの老舗。パティ・スミス、ブロンディなど、ニューヨークの音楽史を語るときには欠かせない多くのバンドを輩出してきた。されど全盛期は八十年代、近年はエキサイティングであったわけではない。ただ、この街の輝いていた時代を体現していた象徴のひとつが消えてしまう、と。

そして、それはこの街で文化に関わる人々にとって深刻な問題となりつつある「ジェントリフィケーション=都市の浄化」と関わりあっている。九十年代にジュリアーニ市長は都市の浄化政策を押し進め、違法なクラブやバーを摘発し、浮浪者や売春婦をストリートから一掃した。治安は回復したものの、それが家賃の高騰や警察の権力強化につながってしまった。ミュージシャンにとって「開かれた自由な都市」だったニューヨークは失われつつある。

いまだに経済は上り坂。ニューヨークはいたるところに高級コンドミニアムが建ち続け、ヤッピーにとっては好都合な都市になりつつある。さて、この街の音楽はこれからどうサバイバルしていくのだろうか?

『音遊人』(2006年)掲載 


Last updated: July 2, 2008